小寺クリニック

論文・短文集

2017.08.10

妄想型統合失調症女性の精神療法と夢分析の過程:母系制の心理の視点より(精神療法,金剛出版,25(1):41-48,1999.)

妄想型統合失調症女性の精神療法と夢分析の過程:母系制の心理の視点より(精神療法,金剛出版,25(1):41-48,1999.)

(写真:デメテルとコレー)

【症例研究】

妄想型分裂病女性の精神療法と夢分析の過程

──母系制の心理学の視点より──

小寺 隆史※

A Process of Psychotherapy and Dream Analysis of a Female Paranoid Schizophrenic.:From the Viewpoint of Matrilineal Psychology.

※小寺クリニック,Takashi Kotera : Kotera Clinic

 

抄録:初診時53歳の妄想型分裂病女性との7年間にわたる治療過程の中で、415個の夢が提出され、それが治療の中で重要な役割を果たした症例である。30歳で発症して以来妄想症状の再燃によって入退院を繰り返していた。分裂病治療における夢の導入は、一般的に危険を伴うとされるが、本症例の場合それに先立って、自我の強化を河川の堤防のイメージを導入して行った。この働きかけは有効で、以後の夢の導入はこの心の堤防に守られて行われた。本症例は母親との結び付きが強く、母−娘が一体で、典型的に母系的な構造を見て取ることができる。この構造が強固である時、そこに割って入ってくる男性性は侵略的、侵入的なものとしてとらえられる。このモチーフはギリシャ神話のデメテル・コレー・ハーデスの神話に典型的に物語られている。本症例の妄想はこの侵入的な男性像を主題としていた。今回、夢の中でこの男性像は鎮魂され、男性像が受容可能なものに変容していく。それと共に妄想症状も縮小する。さらに夢の中で母親からの独立がなされ、30歳の発症時より凍結されていた彼女の思春期、青年期の課題が夢の中で展開する。言わば夢の中で人生のやり直しが行われていった。同時に現実の彼女は人生の総括期にさしかかっている。夢の中でのこの体験がその総括の重要な礎になると思われた。尚、この治療を開始して7年が経過したが、入院という事態に一度も陥らず安定して経過している。

Key Words: 分裂病の夢分析,母系制,デメテルとコレー,ハーデス,侵略的男性像.

(尚、精神分裂病は、その後に統合失調症と呼称を変えるが、本論文中では発表当時の精神分裂病の呼称をそのまま掲載する。)

Ⅰはじめに

 夢の分析が治療過程の中で重要な役割を果たしている妄想型分裂病の女性症例について報告しようと思う。本症例は筆者が7年間にわたり面接を続けている症例である。この間に195回の面接を行い、415個の夢が報告された。筆者との初回面接は53歳時で、それ以前は30歳の発症以来入院を繰り返していたが、それ以降は一度も再入院という事態に至らずに経過している。当初体系的で強力だった妄想は、断片化、縮小化されている。

夢の分析を通じて彼女の内面的な世界の風景が見えてくるが、そこには母−娘の一体感とそこに侵入する男性像という、女性の心理学を考えるうえで重要なモチーフが含まれている。これは母系制のモチーフといってもよい。筆者は以前、女性の過食症症例をとりあげて、このモチーフについて論じた。今回は妄想型分裂病の症例をとりあげ、その中でもこのモチーフが脈々と流れていることを示し、それが治療の中でどう展開していったかを論じていきたいと思う。

また、分裂病治療において、夢を導入することはその自我の脆弱性故に一般的に危険であるとされている。本症例では夢の導入に先立って、自我の強化を目的とした働きかけを行っている。分裂病治療において夢の導入が可能になる条件についても考察していきたい。

Ⅱ症例の提示

1.症例

 初診時53歳、女性の妄想型分裂病症例である。

2.家族歴/生活歴

5人の同胞の内4番目として大都市圏に生まれる。同胞は上から姉、兄、兄、本人、妹の順である。家庭の中では常に母親が主導権を取っていた。父は学歴はないが、まじめで腕の良い職人であったという。

高校卒業後、某国立大学の医学部にて秘書の仕事をしていた。仕事にも熱心で、性格も明るく、教授はじめ医局の先生方にかわいがられたという。25歳時、医局の医師との間に縁談が持ち上がるが、母親がいろいろと難癖をつけてこの縁談は破談となる。以来独身である。

3.現病歴

29歳にて大学の秘書を退職し、その後、30歳で手に職をつけようと、経理学校に入学した。その際、担当教諭からいやがらせをされたという。実際にこの教諭は喫茶店で彼女に冷やかしで結婚を迫る発言をしている。その後、「この教諭に追われる、見張られている」などの被害妄想が出現する。このためホームドクターである内科医から、転地療法を勧められ、親戚を頼って某地方都市へ単身引っ越す。そこでも同様の被害妄想が続き、その地のA精神病院へ入院する。48歳までその地に留まり、その間、初回入院を含め5回の入退院を繰り返し、1回の入院期間は1年から1年半であった。入院と入院のインターバルの期間も実家には帰らず、当地にて事務職や、喫茶店のウェイトレスなどの仕事についていた。45歳の時、父親が死去。48歳時に大都市圏の実家にもどり、母と2人暮らしを始める。その後も症状が再燃し、51歳までの3年間に2回、上記地方のA精神病院に入院する。52歳時に症状が再燃した際、実家のある大都市圏の大学病院(B病院)の精神神経科に受診し、入院した。この時の訴えは「経理の先生が悪いことをする。」「怖いことが起こりそうな感じがする。」「大きな事件に巻き込まれる。」というものであった。薬物療法の結果3カ月で退院となるが、その退院の8カ月後(53歳時)に妄想が増大し、再びB病院へ入院となる。この入院より筆者が主治医になる。

Ⅲ治療の過程

1.入院期(心の堤防作り)[X年6月〜X年10月]

今回の入院では「経理の先生が殺しに来る」という着想が増大し、その恐怖から自宅に閉居する。通院、投薬が途切れた結果さらに、「警察が自宅に盗聴器をしかけた」という妄想が出現し、このため自宅にもおれなくなったという。そのため「命を守ってもらうため」にB病院に来院し入院となった。入院当初、病院を信じることもできずに、食事に毒が入っていると着想し、そのため食事をまる2日間とらなかった。しかし服薬だけは可能で、そのため急速に落ち着きをとりもどし、3日目からは食事は取れるようになった。今回の入院より筆者が主治医となった。

◆初回面接(X年6月)彼女の訴えは次のようなものだった。「前の入院では経理の先生がいやがらせをすると思っていましたが、どうもそうじゃない。その先生は警察に逮捕されたと思うのです。で、今度はその警察が私になにかをすると・・」 このような訴えを始めは受容的に聞くことから治療をスタートさせた。筆者は彼女のこのような訴えの多くに「〜と思う。」という語尾がついていることに気が付く。このことはその分、彼女が妄想着想に直接取り込まれているのではなく、ある程度妄想を間接化していることを示している。そこでその後、彼女の「〜と思うのです」という発言に対して<と思うのですね。>と時に返すことをした。これは「〜と思う」というように着想を間接化させることが重要であることを暗に患者に伝えるためであった。

◆第8回面接(X年7月)で、患者さんとの間にある程度の信頼関係が育ってきたため、「〜と思う。」との発言に対して、<思うだけで本当にそうなるんですね>と返すことを行った。これは上記の働きかけをさらに進め、「思う」ということと、「本当にそうだ」といえることとはギャップがあり、その区別が重要だということを伝えていこうという試みであった。治療者のこれらの働きかけに対して、その後「先生の言うことむつかしいけど、よくわかります、思っただけで、事実だとしてしまったら・・こわいことになりますよね。」と発言するようになった。

◆第16回面接(X年8月)この頃には精神的にかなり安定してきており、また知的な理解力も高いと思われたため、それまでの働きかけに一つのイメージを導入することとした。それは河川の水位とそれを守る堤防のアナロジーで、怖い思い(妄想着想)が出て来ることを降雨による河川の水位の上昇に例え、思っていることと事実を区別することをその水位を支える堤防に例えるというものであった。そのうえで、彼女の入院に至る混乱状態を、川の水位が上がって来たものの堤防がしっかりしておらず、決壊して洪水になった状態と説明した。また、このイメージの中で薬の役割についても説明した。即ち、薬は水位が上がって来た際、その水位を下げてくれるのに貢献すること、しかし堤防自体の補強は彼女自身がしなければならないことであって、そのことに対しては薬は直接には役に立たないこと、逆に水位が上がってきた時に、堤防さえしっかりしていれば、その分薬は少なくて済むようになること、等を話し合った。

◆第21回面接(X年9月) 最初、この心の堤防作りには戸惑いを示していたものの、この面接で「先生、思ってもすぐに事実にしてはいけないということ、一歩さがって考えなければならないということは、そうと思います。でないと、こわいことになる。別のことからそう思いました。」と言い、<別のことって何ですか?>と問うと、「以前一緒に入院していた患者さんが、やっぱり人が(自分に)何か悪いことをすると言って、その人を刺しに行った人がいました。私は大丈夫だろうと思いますけど、でもそうなるとわからない。やってしまうかもしれない。だから一歩下がって考えてみるいうのは大切だと思います。」と発言した。

◆第29回面接(X年10月)「先生、思いが起こってきても、無視するというのは一つの堤防になると思います。」と発言する。その後この堤防モデルは彼女に定着し、思っていることと事実との区別を表すイメージとしてその後の面接の中で活躍する。さらに退院後の夢の中にも登場しダイナミックな役割を果すこととなる。入院治療の目的はある程度達成したと思われたので、入院から約4カ月で退院となった。(X年10月)

2.外来第1期(迫害的男性像の供養)[X年10月〜X+3年1月]

退院後、外来通院の中で夢の報告を提案した。それは彼女の自我のレベルが分裂病中核群に比べれば高く、夢の導入に伴う危険性が比較的低いと判断したためである。また、上述の心の堤防作りがかなり意識的に行われるようになっており、夢分析はこの堤防に守られて行われたと言ってよい。また、初期の夢の報告では主語が明確でないものが多く、その都度主語を本人に確認し、主語を明確化することが重要であることを示すようにした。これも、自我の強化の一環として行った。

また、治療の中での夢の扱い方については治療者がその解釈を述べるというような形はとらず、むしろ、患者さんと治療者が夢の内容の周辺を一緒に散歩するつもりで導入している。夢は患者さんがノートに記録してきたものを読んでもらい、その連想を聞くという形を取った。またそれと平行して、日常的、現実的な話題は常に話し合われ、そこでは専ら「心の堤防」を大事にするという自我強化的な働きかけを継続している。

◆第35回面接(X年10月)夢1「琴が倒れてそこからきれいな蝶が部屋の中を飛ぶ」という初回夢を見る。初回夢はよく、患者の自己紹介の役割を果すといわれる。また、その後の治療の展開の方向、予後を示すことも知られている。琴は彼女が娘時代に習っていて楽しかったと言う。それは30歳から、実際に自宅の床の間に立て掛けて放置されていたという。30歳とはまさに彼女が発症した年齢である。いわば琴は彼女の思春期、青年期の象徴であり、そこでの課題が解決されないままに、立て掛けてあったといえる。その琴が倒れてそこから蝶が飛び出る。筆者はこの治療が思春期、青年期の課題をもう一度、発掘することになるのかもしれないと感じていた。夢2「(略)道路工事で土を掘り起こすと、その中から頭蓋骨とメチャメチャになった乗用車が出て来た。(略)」死者が地中から掘り出される。彼女の無意識の中に放置されていたものが、地上に姿をあらわしたと感じられた。この放置されていたものの正体はその後の夢の中で明らかになる。

◆第55回面接(X年11月)夢23「ご近所で人が亡くなられる。葬儀を私の家でする。(略)お棺が運ばれて来る。土葬にする。お経を上げていると盛土が動き出す。みんな大騒ぎになり土を掘り返す。棺のふたが少し開いて動いている。お医者さんが生き返る。みんなびっくり仰天する。お医者さんはおこっている。(略)」地下に埋もれていたもの、それは医師であった。医師は彼女が医学部の秘書をしていたとき、縁談がもちあがったにもかかわらず、母親の反対で結婚できなかったその相手であった。しかし、この夢を報告した時点で、彼女は夢のなかの医師と自分のかつての結婚相手を重ね合わせることはできていない。 夢25「(略)帰り道歩いていると男の人がつけてくる。私が走ると男の人も走ってくる。とても恐ろしい。」夢23で生き返った“男性像”は今度は夢の中で彼女を追いかけて来る。その中で彼女は追いかけて来る男性と向き合うことはできていない。その後も断続的に「男性に追われる」というテーマの夢が出現する。(夢57・58・60・64・71・72)夢27「こんな方がいらっしゃるのだけれど、どうかしら。男の人は再婚で4人の子供がいるのだけれど、(略)この話、無理かしらと女の人が私に相談してくれる。」 夢はここで結婚のテーマを出してきている。迫害的な男性像の裏に結婚のテーマが存在していることを、夢が示唆している。彼女の中に未解決のまま放置されているエロスの問題を提出しているとも言える。

◆第88回面接(X+2年4月)夢126「私は京都に遊びに行く(30歳くらいの姿)。ばったりとEさんとお会いする。私は結婚してないのよと言う。僕もまだ一人ですと言う。でも、どちらからも結婚の話は出ない。仕事は忙しいですかと私はたずねる。まあまあですとEさんは答える。では失礼しますと別れる。」このEさんは彼女が婚約者であった医師その人である。夢23で地中から蘇った医師は単に見知らぬ医者という位置におかれていた。それがここで初めてEさんと結び付くことになる。ここにEさんに象徴される彼女の中の良い男性像と、地中から蘇って彼女を追跡して来た、恐ろしい悪い男性像との関係が明らかにされる。それらは、まさに表裏をなしている。そして、この悪い迫害的な男性像こそ、彼女の妄想の中に登場する「経理の先生」に象徴されているものに他ならない。即ち、彼女のかつての「婚約者」と「経理の先生」とは男性像の表と裏であり、それらは一体となって地中に葬り去られていたといってもよい。彼女が30歳の時点にである。夢126で彼女はまさに30歳の姿で現れている。この面接と前後して彼女は初めて鬱状態に陥り、「死にたいような気分になってきた。こんな気持ちになったのは初めてです。」と語る。

◆第90回面接(X+2年5月)夢131「白浜に遊びに、母、兄、兄嫁、姪、私が車で行く。海岸で頭蓋骨を見付ける。兄が僕の知人だ、持って帰ってお墓に埋めてお経をもらってあげようと言って風呂敷に包む。私は気持ちが悪いからもって帰ることに反対する。兄がそんなことを言わないでと言う。兄は風呂敷包みを持って車に乗る。(略)」ここで初めて頭蓋骨を埋葬するというテーマが現れる。地中に放置されていた男性像が生き返り、そしてそれは彼女を追跡してきた。彼女の中で放置されてきた頭蓋骨をもう一度家に持って帰って供養するというテーマである。ただし、この供養は夢の中で本人自身が行ったものではなく、兄が代わりに行ったものである。本人はむしろそれに抵抗を覚えている。しかし、曲がりなりにも、ここに失われた何物かに対する喪の過程が展開されたと言える。そのことを裏付けるように、第88回面接のころからの鬱状態はこの夢が出現した後、収束して行く。この夢を見た1年5カ月後に、彼女は温泉旅行のお土産と言って、筆者にユーモラスな骸骨の人形のついたキーホルダーをプレゼントしてくれる。夢の中のあの恐ろしい白骨のイメージは手のひらに乗るかわいらしい人形になっていた。彼女の妄想に登場した恐ろしい男性像は、それが放置されていたが故に暴力的な力を振るっていた。その圧倒的な力に翻弄され、彼女は入院を繰り返していたと言える。それが、夢の中で埋葬され供養されたことによって、その凶暴性を減じて行ったともいえる。

一方先述したように、この凶暴な無意識の力を、面接のなかで降雨による河川の氾濫に例え、その水量を包含する心の堤防を築くことを治療の重要なテーマにしてきた。そのイメージが夢にも登場する。

◆第100回面接(X+2年9月)夢149「台風がやって来た。家が流され、橋が壊れ、流れて行く。茶色の泥水が早く流れ、人が溺れ、助けようがない。災害地の皆さんはお気の毒だ。私の所が助かってほっとする。」

◆第109回面接(X+3年1月)夢174「洪水だ。水路が中央にできて、私を真ん中にして左右両側に、私より高い水か渦をまいてゴーゴーとものすごい勢いで流れて行く。」(連想)「十戒という映画があった。モーゼが海の中を通っていったのと同じ。真ん中に私がいて、両側に水の壁があって、水はそこからこちらにはこないんです。でも怖くて歩けなかった。」 この夢149と夢174とはどちらも水が大氾濫するが、それに対して彼女自身は守られている。以前のように無意識の力に彼女が直接的に翻弄されるのではなく、それを間接化できるようになってきている。このことは、上述の凶暴な男性像の力が静められたことと相俟って、彼女が入院の必要な大混乱には陥らなくてすむようになってきていることを示唆していた。事実、このころより妄想着想はその体系性を失い断片化され、縮小していく。

3.外来第2期(母からの象徴的独立)[X+3年8月〜X+3年12月]

第2期に迫害的な男性像を埋葬し供養したあと、彼女の心の中に大きな変容が生じる。まず起こったことは母親からの精神的な分離・独立であった。

◆第130回面接(X+3年8月)彼女と母親の関係に異変が起きる。大喧嘩が起こるのである。きっかけはささいな日常の行き違いであったが、お互いに家から出て行けと言い合うような激しい喧嘩となった。それまでは母親に文句を言わず、仲の良い母娘であったが、このころから深刻な喧嘩がよく起こるようになったと言う。今まで一体であった母−娘の関係に亀裂が入りはじめた。

◆第138回面接(X+3年11月)夢224「私は明石と須磨の中間ぐらいの所に家を新築し引っ越してきた。取りたての魚は毎日食べれるし、庭で作った野菜は新鮮でおいしい。(略)新築なのでとても気持ちがいい。」(連想)「お母さんはおいてきた。1人暮らしです。」

この夢は母からの独立の夢にほかならない。母親を残して他の場所に自分の家を新築している。母親から独立した彼女自身の心の家を建てたと言える。この母親からの精神的独立という課題は、思春期・青年期の課題であるが、それは彼女の分裂病という形をとって凍結されていた。それが56歳にして再び動き始めたと言える。そして次に起こったことは彼女が母親になるということであった。勿論夢の中での事である。

4.外来第3期(人生のやり直し)[X+4年1月〜X+7年5月]

◆第142回面接(X+4年2月)夢237「阪神大震災で焼け野原になっているところを、私は見にでかけた。5~6歳の女の子が一人泣きもせず、ただお母さん、お母さんと呼んで歩いている。私は女の子に近づき、お母さんはきっと天国にいったのよと言う。これからは私と一緒に暮らそうねと言うと、女の子は泣きもせず、ただうなずいて、私の後からついてくる。私も悲しかったけれど、涙も出て来ない。私は女の子の手を引いて、焼け野原の中を線路をみつけようともくもくと歩く。」 (連想)<あなた、夢の中で母になったね。>「そうですね、結婚もしないで、一飛びにね。」彼女は夢の中で“未婚の”母親となる。第3期で自分の家をもった彼女は、次に自分の娘を見付けたと言ってよい。その後、彼女はこの女の子を自分の建てた海辺の家に連れて行くという夢をみている(夢302)。さらにこの女の子の幼稚園の卒園式に出席する(夢361)。まさに夢の中で彼女は子育てをしている。

◆第165回面接(X+5年8月)夢328「母が突然亡くなる。びっくりしたためか涙が出ない。どこからかお経の声が聞こえて来る。」

第3期に動き出した「母からの独立」の課題は「母の死」 において完結する。思春期の課題の一つが夢の中で遂行されていると言ってよい。しかし、その一方で「母の死」は、近い将来彼女が体験しなければならない現実でもある。母親は既に90歳を越えている。この夢はその二重の意味を持っている。この夢を見た後、彼女が「私はお母さんが死んでも大丈夫だと思えるようになりました。」と語ったのが印象的だった。

◆第179回面接(X+6年5月)夢365「私は医師会の仕事をしている。Eさんの妹さんも働いている。兄(Eさん) は結婚しましたが、精神的に恵まれずに離婚をした。女の子が一人いるけれども、奥さんが引き取って育てているとのこと。Eさんの妹さんは私のことを知っていて、もしよければ兄に会って結婚して欲しいと言って下さる。私は昔の事を少し思い出し『お兄さんとは手を握ったこともない。ただ誠実な人だとは思っていましたが、何か物足りなかった』と私は妹さんに話す。Eさんとお会いする日が来て、Eさんはニコニコと私に会釈をしてくださる。私も頭を下げる。私はもう時間が経ち過ぎていると思う、Eさんと少しお話しをしただけで別れる。後ろ姿を見送りながらなぜか涙がにじんでくる。」(連想)「現実にはEさんが泣いたのです。私の方はと言うと、ケロッとしていたのに。」

この夢で彼女は結婚に別れを告げる。実際の娘時代のEさんとの縁談は母親がいろいろと難癖をつけたため、破談となっている。彼女はその母親の意向に従っただけであった。しかし今回、彼女は夢の中ではあるが、その母親からの分離独立を果たしている。その彼女が、この夢で本当に自分の問題として結婚ということに向き合ったのではないだろうか?そして彼女は自分の選択として、結婚に別れを告げている。彼女の涙はその別れの悲しみの涙であろう。そこに喪の仕事が行われたと言ってよい。この夢を見た後「もし私が結婚していても、今より幸せだったかどうか、それはわからないと思うようになりました。」と発言していることはそのことの傍証となっている。

彼女の中で凍結されていた思春期・青年期の課題は、解凍され、夢の中で展開してきたが、この夢に至ってそれは一つの区切りがついたように思えた。現実の彼女は既に初老期に足を踏み入れており、ライフサイクルの中で人生の総括の時期に立っている。彼女の人生の総括は、この思春期、青年期の課題を凍結したままでは、大変遂行しにくいものだったと思われる。従ってこの夢は人生の総括への導入という意味を同時にもっている。 この治療を開始してから7年が経とうとしているが、一度も入院という事態に陥ることなく、安定して経過している。些細な妄想的疑いは時に顔を出すが、本人が「フッと気になることがあるけれど、長続きしません。」と言う程度のものになっている。薬物に関しても、入院当初 Haloperidol(Serenace)12mg、Mosapramine(Cremin)50mg(1日量)必要であったものが、Haloperidol(Serenace)2mg(1日量)のみで経過している。

Ⅳ考察

1.夢の導入を可能にする条件

本症例は分裂病の治療に夢を導入することが、たいへん有意義であった一例である。しかし、分裂病治療に夢を導入することは一般的に危険を伴う。本症例では夢を導入する以前の入院期より、その前提となる自我の補強を行っている。それは妄想着想において、「そのように感じること」と「実際にそうであること」との間には差があり、その区別をつけることが重要であるとする働きかけであった。それを河川の堤防に例え、妄想着想などの「思い」が増大してくることを、河川の水量の増加に例えた。もし水量が増加しても、堤防さえしっかりしていれば洪水にはならない。この「心の堤防」のイメージは面接の中で、治療者と患者に共有され、重要なものとして定着していった。そのイメージは夢の中にも登場し彼女を守っている。本症例の夢の分析はこの「心の堤防」に守られて行われたと言ってよい。

2.夢が与えてくれたもの

本症例は母親との結び付きが大変強く、母−娘が一体をなしている。それに比べて父親の存在感は希薄であった。この母−娘の一体的な構造は、Bachofen,J.J.(1861)がその大著の中で明らかにした母系的構造といえる。女性の心理的発達を考える上でこの構造は大変重要な視点を与えるものと考えられる。Jung,C.G.(1934)も女性の心理学を語るうえで、この構造を重要視している。この構造が強固なとき、男性はそこからは疎外される傾向がある。本症例の父親は存在感が希薄で、家庭の中に本当の意味で入っているとはいえない状況であった。しかし、一方、母−娘の一体的構造を分化させるものは男性性に他ならない。例えば結婚という事態で、母と娘は別れざるをえない。従って、この母−娘の一体感があまりに強力であるとき、そこに割って入って来る男性は、侵略者としてとらえられる。Neumann,E.(1953)もこのことを指摘し「(強固な母系的構造が)男性的なものの排除とそれへの冷淡さを生まずにはいない」と述べている。またこのモチーフはギリシャ神話の中のデメテル(母神)とコレー(娘神)の物語に典型的に語られている。デメテルとコレーは密着した母−娘であったが、ある日地中から出現した冥界の主神ハーデスにコレーは誘拐され、母−娘は引き裂かれるのである。

本症例は25歳時に縁談が持ち上がる。それは母親がいろいろと難癖をつけて破談となる。言わば、母親が“男性”を追い払ったわけである。ところが“男性”は再び出現する。それが経理学校の先生であるが、今で言うセクハラに近いエピソードが実際に起こり、彼女に迫ってきたわけである。まさにハーデスの出現である。これが彼女の発症の直接の引金となった。母−娘の関係が未分化で一体的であればあるほど、“男性”は無視され無意識の地中に放置される。そのとき、男性像は凶暴な姿となって噴出してくる。彼女の場合それは経理の先生に関する妄想として、その後噴出し、そのために分裂病者としての人生を送らざるをえなかった。

女性にとって、この未分化でネガティブな面を強く持つ男性像を、成熟した受容可能な男性像に変容していくことは思春期の心理的発達課題といえる。彼女はその課題に大きく躓き、それは凍結されたままになっていた。ここに分裂病の思春期、青年期課題での挫折という側面を見てとることができる。今回の治療過程は、その彼女の凍結されていた課題が夢の中でもう一度動きだし、展開したものと考えられる。

外来第1期(迫害的男性像の供養)ではネガティブで未分化な男性像が死者として地中から掘り出される(夢2、夢23)。ハーデスは神話の中でもまさに地中から現れている。夢の中の男性像が、白骨体、死者として出現していることは、ハーデスが冥界の主神であることを彷彿とさせる。そして蘇ったこの男性像は彼女を追いかけ始める(夢25)。その後さまざまな夢を派生させて、最後にその凶暴な側面はもう一度地中に埋葬され、供養される。(夢131)。その間、男性像は分化し、そのポジティブな側面はかつての結婚相手となって、その後の夢の中にも登場する。男性像が重要な変容を遂げたと考えられる。これと平行して妄想の中の恐ろしい男性像も縮小していく。

外来第2期(母からの象徴的独立)では、強固だった母親との一体感が現実に分化し始める。このことは、前期の男性像の変容があって初めて可能であったと思われる。というのは、母系的な母−娘関係を分化させるのは男性性に他ならないからである。同時に夢の中で彼女は自分自身の家を新築し一人暮らしを始める(夢224)。彼女が母親から精神的な独立を果たしたことを夢は示唆している。

外来第3期(人生のやり直し)では彼女は子供を育てることになる。夢の中で震災で母を失った女の子と出会い、その子を新築した家に引き取ることとなる(夢237、夢302)。 その後、この女の子は夢の中に幾度か登場し成長していく。夢の中でこの女の子が幼稚園を卒園する際、その卒園式に母親として出席している。彼女が自分自身の人生をやり直しているともいえる。 ただここで結婚することなしに子供をもっていること、そしてその子が女の子であることは、彼女が母系の中に身を置いていることと密接に関係している。母系とは、母娘が無限に周期的に入れ替わるシステムである。それは毎年季節が同じように巡っていくことに比喩される。また人類学の研究から、Malinowsky,B.(1927)や、須藤(1989)は共に母系制社会では、妊娠に男性が関わっていないと信じられていることを報告している。

そしてその後、彼女は結婚のテーマともう一度向かい合うこととなる。かつての縁談の相手と夢の中で再会し、今度は母親の意向としてではなく、彼女自身の選択として、結婚を断念する(夢365)。現実の別れの場面では何の情緒も動かず、まるで他人事のようにしか感じていなかった彼女が、夢の中では涙を流している。現実よりも夢の中で真に自分自身の体験をしたといってよい。

彼女は夢の中で思春期、青年期の課題を遂行した。しかし、同時に現実の彼女は初老期にさしかかっている。それは人生の総括の時期にあたる。即ち彼女は夢の中で思春期、青年期の課題を乗り越えながら、同時に人生の総括という課題を背負っているのである。夢で彼女が流した涙は単に結婚を断念した涙ではない。それは分裂病という事態によって20年以上凍結されていた人生、失われた時間に対する涙でもあった。その悲しさをしっかりと引き受けることで彼女の人生の総括は、はるかに豊かなものになると筆者は確信している。そうであるならば、彼女の人生は分裂病に飲み込まれたのではなく、それを包み返すものとしてまとまって行くのだろう。

《謝辞》本小論を執筆するにあたり、多くの貴重な御意見を下さったユング派分析家の川戸圓女史と、本症例に関し貴重な議論をして下さった大阪大学医学部精神医学教室の井上洋一先生、水田一郎先生、大阪市立総合医療センターの横井公一先生に心から感謝の意を表します。

 

文献

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Unbewuβten.2.Auflage.Rhein-Verlag.(福島章・町沢静夫・大平健一,他訳(1982) グレ  ート・マザー.ナツメ社.)

Neumann,E.(1963) Das Kind:Struktur und Dynamik der werdenden Pers nlichkeit.

Verlag Adolf Bonz.(北村晋・阿部文彦・本郷均訳 (1993)こども:人格形成の構造と力学. 文化書房博文社.)

Neumann,E.(1971) Ursprungsgeschichte des Bewusstseins.Walter-Verlag.,AG.(林道義   訳(1984)意識の起源史.紀伊國屋書店.)

須藤健一(1989)母系社会の構造.紀伊國屋書店.

辻悟編,清水将之・北村陽英・藤本淳三,他(1972) 思春期精神医学. 金原出版.