大阪府吹田市の心療内科|こころと身体のクリニック「小寺クリニック」

論文・短文集

2017.09.12

日本的「心の相談」の行方:震災後の活動と開業を通じて

日本的「心の相談」の行方:震災後の活動と開業を通じて

日本的「心の相談」の行方

──震災後の活動と開業を通じて──

小寺クリニック(精神科/心療内科)

小寺 隆史

阪神大震災の約2年後、私は心の相談所としての、精神科、心療内科クリニックを開業することとなった。震災と開業を通じて、精神科医として考えたことを、今回、千里医師連合から原稿を依頼されたのを契機に、振り返ることとした。

私が西宮市を訪れたのは、震災の1週間後だった。被災した友人に救援の物品を届けに行った帰り、避難所となっていた西宮市立中央体育館に立ち寄った。そこで北川恵以子先生に出会う。彼女はアメリカ合衆国のメニンガー財団にて訓練を受けた精神科医で、同時に小児科医としての経歴も併せ持ち、当時、体のケアを目的としたNGOの医療ボランティアとして震災の翌日から体育館で活動していた。

その北川先生が、体のケアは一段落ついた、そろそろ心のケアの必要な人が出始めているので、一緒にやってくれないか、と言われる。話し合った結果、体育館の医療室の隣に「心の相談室」を開設することとなった。これがことの始まりである。その後この相談室に多くの精神科医の先生が参加して下さった。我国のホスピスの先駆者である柏木哲夫先生、大阪精神科診療所協会会長の田中迪生先生、西宮で開業されている新川賢一郎先生、淀川キリスト教病院の細田和民先生、そして当時私が勤めていた浅香山病院の仲野実先生、等々である。そして上述の北川先生と共にこれらの先生方とローテーションを組んで相談室の活動にあたった。

この相談室が果たした役割は、分裂病圏、躁鬱病圏、てんかん等で外来通院をされていた方が、医療機関の機能停止で投薬が途切れているのに対し、投薬の継続を確保すること、時に入院が必要と思われる場合は病院と連絡を取り合い、入院の手助けをすることなどであった。私自身、救急車に患者さんと同乗し大阪の病院まで搬送したこともあった。これらの活動は体育館とその周辺の避難所を巡回することで行われ、かなりの成果をあげたと思われる。

しかし一方、被災者の心の相談ということに関しては、十分な成果を上げたとは言い難い。というのは「心の相談」に訪れる人が、予想していたよりも、はるかに少なかったのである。「心の相談」ということが、あの状況の中では成立しにくかったとも言える。このことに関して、ある日のミーティングで、柏木哲夫先生がホスピスの日米での差異を例にとって話されたことは大変示唆深いものだった。つまり、アメリカのホスピスでは患者さんが亡くなった際、その遺族の心のケアもホスピスの重要な一環であり、それなくしてはホスピスは成立しないという。ところが逆に日本のホスピスでは遺族のケアということはほとんど成立しない。それは遺族が専門家の相談を必要としないからだそうだ。そして遺族を心理的に支えているのはその親戚縁者やその身辺にいる人達なのだ。つまり日本は心の支えとなるコミュニティーをまだ温存している社会なのである。ところがアメリカでは、遺された遺族が全く孤独なことが多く、そこに心を支える専門家が必要となる。ここに日米の「心の相談」ということに関する根本的な差異がある、というお話だった。即ち今回の震災でも、被災者の方々の心のケアに関して日本的コミュニティーが重要な役割を果たした可能性が大きい。地震で傾いた住宅や、がれきの山の横で、近所の奥さんたちが井戸端会議ならぬ、がれき端会議をしている光景をよく見かけた。そのなかでこそ日本的な心のケアがおこなわれていたに相違ない。

その約2年後、私は吹田市の南千里にて心のクリニックを開業することとなった。震災での経験から、地域に根ざした心の相談所が必要だと痛感したからだった。そこで気付いたことは、来院される患者さんのかなり多くが、逆にこの日本的コミュニティーの犠牲となっていることが多いという事実である。例えば、この国において「個人」を確立しようとし不適応を起こす高校生、公園デビューがどうしてもできずに落ち込む母親、会社人間で退職後自分から会社を差し引くと何物も残っていないことに、はたと気付いた御老人、等々である。震災の際には西洋人を驚かせるほど、人を癒す役割を果したものが、逆に多くの犠牲者を出しているわけである。

日本的コミュニティ−とはまさに母性的共同体といってもよい。母性とは守り育む存在であると同時に、子供を絞め殺し食い殺す存在でもある。日本における「心の相談」ではこの共同体のポジティブな面とネガティブな面を同時に視界に入れておく必要があるのだろう。

この共同体は、客観的な行動規範よりは馴れ合いで行動する。しかし、我々はこのネガティブな母性にブレーキをかける健全な「父性」を持ち合わせていないし、それから独立した「個人」を未だ成立させてはいない。その間に日本的「心の相談」は漂い、悩まざるを得ない。そこに日本的メンタルクリニックの存在基盤があるとも言えるのだろう。