小寺クリニック

院長の旅行記

2017.08.11

インド旅行記2:宗教について考えながら

インド旅行記2:宗教について考えながら

インド旅行記2:宗教について考えながら

小寺隆史

 アンコール、そしてインドと旅をしてきた我々は、2004年3月、再びインドを訪れることとなった。今回の旅のテーマは次の2つある。

1:カーリー女神とはどういう性質をもった神格であるのか。なぜ、人々は彼女を斯くも熱狂的に信仰するのか?

2:後期密教はインドに成立した仏教の最後の形態であり、それはチベット伝わり、現在ではそこでのみ保存されているとされてきた。しかし、近年、インドにおける後期密教の遺跡が発見、発掘されつつある。この発掘中の遺跡を訪問することによって、インドにおける後期密教とはどういうものであったのか?

1 カーリー女神とは何者なのか?

カーリーを最も身近に感じるため、カルカッタを訪問した。カルカッタとはカーリーカッタであり、インドのなかでも、カーリー信仰が最も盛んな都市である。このカルカッタにあるカーリー寺院を訪れた。

写真1 カルカッタのカーリー寺院

この寺院では常に羊が生け贄としてささげられている。我々が訪れたときも一匹の羊の首がはねられて神に捧げられた。ガイドのグプタさんによると、実は昔は人間の男の子が生け贄に捧げられたと言う。これは植民地時代にイギリスによって禁止され、現在では法律によって禁止されていると言う。

写真2 道端のカーリー女神像

カーリーは生首の首飾りをつけている姿で有名である(写真2)彼女は殺戮の女神である。カーリーは宿敵であるアシュラ神族との戦いで、敵の首を次々とはねて、自らの神族(デーヴァ)を勝利に導く。戦い終わった後も、彼女の興奮が冷めず、暴れ続けるので、その夫であるシヴァが自らの体を呈して彼女に踏みつけさせ、彼女の興奮をさましたという。

このおどろおどろしい女神が、なぜ民衆の信仰をあつめるのか?それを知ることが、今回の旅の目的である。そのヒントはカーリー寺院の中にあった。カーリー寺院は、熱烈な信仰の場である。構内での撮影は許されない。また、土足で構内に入る事も許されない。我々も、寺院内では、地面を裸足で歩いた。ここを訪れる参拝者には女性が多い。その寺院の中に、聖なるサボテンの木というのがあって、それに女性の参拝者が触って行く。これは、何なのか?と、聞くと、それは子宝を与えてくれるという。つまり、女性たちは、子宝を願ってカーリーを参拝しているのである。カーリー女神は豊穣の女神であった。カーリーの殺戮の女神としての側面ばかりを見ていた筆者にとって、それは目から鱗という体験だった。豊穣の女神ということは、ある種、盲点だった。豊穣の女神とは大地の母神である。これは例えば、日本の土偶に見られる象徴性と同じものである。

では、豊穣の女神と生け贄とは、どう関係するのか?実は、豊穣の女神が生け贄を要求するということは、世界中でみられることである。例えば、南米アンデスではラマが豊穣の女神に生け贄として捧げられる。またインドで、男の子が生け贄に捧げられていたというのは、同じ事が、典型的にギリシャ神話にも登場する。ギリシャの豊穣の女神、デメテルは娘ペルセポネーを捜す旅の途中、彼女に親切にしてくれた宿の主人がいた。その息子を彼女は、毎夜火にくべる。それが見つかり、息子が取り返された時、彼女は怒ってこう言ったのである。「愚かなる人間よ、お前の息子を神にしてやろうと思ったのに」と。つまり、生け贄にされた男の子は、そのことによって神となるのである。この殺される側の男性が、超越するというモチーフは、神話上では、シヴァの超越のモチーフである。図像でカーリーに踏みつけられて死んだようになっているのは、シヴァである。(写真1)シヴァ神は死と密接に関係した神である。シヴァは破壊と再生を司る。破壊とは、死に他ならない。また、前回にも述べたように、これと同じ超越のモチーフはエジプトのオシリス、そして、キリストの死と復活にもみられる。オシリスは従兄弟によってバラバラにされ殺されるが、姉であり妻でもあるイシス神によって再生され復活する。キリストも磔刑によって殺され、その後復活する際、そこに立ち会ったのはマリアである。オシリスもキリストも、死と再生によって超越してゆくのである。そして、その死と再生の陰には大地の女神が存在するのである。

結論:カーリーは大地の女神、豊穣の女神であった。カーリーの黒色は大地の象徴なのかもしれない。カーリーとは、黒という意味である。それはブラックマリアの黒と通底しているのだろう。カーリーの殺戮の女神としての性質があまりにも強烈で、その大地の女神という基本的性質が、こちらからは少し見えにくくなっていたのであろう。

 

2 後期密教はどのように成立したのか?

ここにターラー菩薩の写真がある。後期密教とは母系の仏教であると言われているが、その証拠がここにある。この写真から分かるように、ターラーは稲穂を持っている。つまり、彼女は豊穣の女神の流れを汲むものである。大地の母神が仏教の中に流れ込んできたのである。そこにヒンドゥー教の影響があることは、明らかである。仏教が初めて母性を、そして、女性性を受け入れたのである。

写真3 後期密教遺跡(ラトナギリ)のターラー菩薩像

今回、インドにはその痕跡はもうないといわれていた、後期密教の遺跡の発掘現場を3カ所見学することができた。3カ所は訪れた順にラトナギリ遺跡/ウダイギリ遺跡/ラリタギリ遺跡であった。

  • ラトナギリ遺跡:写真3、4のターラー菩薩はここで撮影された。僧院の入口にそれはあった。そこを入って行くと僧院の跡があった。(写真4)僧院は、方形の敷地のなかに7つの瞑想するための個室が横並びにつくられていて、それが残っている。僧院跡の周辺には貴重な仏像がいくつも雨ざらしの状態で置いてあった。それらの多くが豊かな乳房をもつ仏像であった。別のターラー菩薩像(写真5)、そして、蓮花手菩薩も女性像となっていた。(写真6)その他、明らかに女性像としての仏像が目立ち、母性の仏教への流入を明らかに示している。そのなかで、子供を抱いている女性仏像があった。(写真)これはエローラ石窟にあった、鬼子母神像を彷彿とさせる。(写真)鬼子母神像は仏教説話のなかに登場するものであるが、いや永信美氏の研究によれば、鬼子母神は大黒とペアになって、置かれていることが多い。大黒はもともと、シヴァ神を起源としている。ということは、鬼子母神とはシヴァの妻である可能性が大きい。鬼子母神は周知の通り、子供を食らう恐ろしい母であった。この、子供を食らうということも、シヴァ神の妃でもあるカーリーと整合する。となれば、鬼子母神とは、仏教版のカーリー女神である可能性が浮かんでくる。鬼子母神は子供を食らうおそろしい母から、子供を守る良き母に転じた。カーリーは殺戮の女神であると同時に、男の子を犠牲として求めた。そして、同時に子宝を授けてくれる神として、民衆から信仰されているのである。カーリーの項で、述べたように、カーリーは豊穣の女神であった。それはこの遺跡のあちこちに見られる、ターラー菩薩にも通じて行く。ターラーは稲穂をもった仏像であり、豊穣の女神である。このように、仏教に女性性が流入するにあたって、カーリー的なイメージの流入が大きな役割を果たしていたに相違ない。

極めつけは多くの雨ざらしの仏像のなかの1つで、土偶のような大きな、乳房 と、妊娠しているようは腹部の膨らみをもっている像があった。(写真)これは、破損が激しく、もともとどのような姿であったのか不明であるものの、仏教遺跡にこのような地毋神的な像があること自体、仏教に流入してきた母性というものが大地の母神と関係していることは確かなことだと思われる。

また、この僧院の周囲には後期密教の特徴である、セクシャルな像を見ることができた。明らかに、性行為を行っている男女の像(写真)があり、これは、性が仏教に流入した証拠となる遺物である。またそれはカジュラハホ遺跡群や、プーリーのスーリヤ寺院など、ヒンドゥー教寺院の外壁にみられるセクシャルなミトゥナ像のレリーフ(写真)との類似性が高い。行為を行っている男女の後ろに、もう一人人間が立っていることも、共通している。これは明らかにヒンドゥー教から仏教への影響が考えられる。また、性器に手をやっているような像があったが、(写真)これも、スーリヤ寺院の雨水の排水口として用いられていた像に酷似している。(写真)ただし、こちらのそれは排水口として用いられていたのではなく、その図像のみが共通しているようである。ここにも明らかにヒンドゥー教からの影響が窺われる。

僧院跡から、しばらく行くと、発掘中の半分土に埋まったままの仏像があった。(写真)今後も多くの遺物が出現するのだろう。イギリス統治時代ならばあっという間に大英博物館にもっていかれたことだろう。今ごろになって、発掘されてよかったと思う。

そこからしばらく行くと、大きな発掘済みのストゥーパがあり、(写真)そのまわりにも、数多くの女性の仏像が鎮座していた。(写真)これらも、ターラー菩薩像と思われる。

その近くにあった小型のストゥーパは今から発掘されるところで試掘が行われていた。テラコッタの破片をひろったのも、ここであった

 

写真4 ラトナギリ遺跡のターラー菩薩像(写真2の全体像)

写真5 ラトナギリ遺跡の僧院跡:瞑想のための個室群

 

写真6 ラトナギリの僧院全景

写真7 ラトナギリ僧院の入り口の雨ざらしの仏像群

写真8 ラトナギリのターラー菩薩像

写真9 ラトナギリの女性化した蓮花手菩薩

写真10  ラトナギリの女性化仏像:子供を抱いた鬼子母神像

 

写真11  ラトナギリの土偶のような像:大地の豊穣の女神を思わせる

写真12  ラトナギリのセクシャルな像:ヒンドゥー教のミトナ像と類似する

写真13   ラトナギリの発掘途中の仏像

写真14  ラトナギリの発掘された大きなストゥーパ

写真15   精神科医4人の旅行仲間:ラトナギリ博物館にて

 

  • ウダイギリ遺跡:ここには1基のストゥーパがあった。ストゥーパの4面には仏像が安置されており、男性仏であった。釈迦仏と思われるが、冠の立派なことから、大日如来である可能性もある。丘の上方には発掘中の遺跡があったが、これは見学できず。

 

写真16    ウダイギリ遺跡のストゥーパ

 

写真17 ウダイギリ遺跡のストゥーパに配置された仏像:大日如来

写真18 ラリタギリ遺跡の地蔵の原型と思われる像

ラリタギリ:地蔵の原型ではないかと思われる仏像が、無造作に樹木の周りに放置されていた。(写真18)腹部にくぼみがあり、その中へ階段でおりてゆく道がついているような像である。これは明らかに、子宮を表している。一方、地蔵とは、サンスクリット語でクシチガルブハ(Ksitigarbha)という。クシチ(Ksiti)は大地、ガルブハ(garbha)は子宮を意味する。従って、地蔵とは大地の子宮という意味である。そのことを考えると、この像は、地蔵の原初的な象徴性を非常に分かりやすい形で表現していると思われる。この像は、まさに大地の子宮を表している。そして、その中に入ってゆく階段があることから、この像は子宮の中にもう一度入って行くという体験を表現している可能性がある。子宮にもう一度入って行く体験とは、臨死体験における、トンネルを通過して行く体験が報告されており、それは、死ぬときに人間は子宮にもう一度回帰するイメージを持つことを意味している。そのことと、この像は関係しているように思えてならない。地蔵が、冥界への導きをしてくれるという信仰は、日本にも見られる。例えば、奈良の十輪院の地蔵菩薩は、亡くなった人を座棺にいれて、一昼夜そのまえに対座させるという。地蔵は死者を冥界に導いてくれるのである。胎内は、冥界とこの世の通路である。ところでこのインドの像は、写真からもわかるように、方形の外枠をもっている。これが何のためなのものなのかは不明であるが、なにかしら棺桶を連想させる。この像も、死者を弔うためのなんらかの儀式に使われた可能性があるのではなかろうか。

地蔵が子宮の意味をもっていることから、予測もされるように、地蔵はもともと、大地の母神であった。地蔵は、ヒンドゥー教の前身であるバラモン教の女神プリヴィティー(Prithivi)に起源すると言われている。プリヴィティーはヴェーダの中に語られる大地の女神で、バラモン教の重要神インドラの母であるとも言われている。地蔵が子供を守るという信仰も、その母性性と密接に関係している。

また、空海が日本にもたらした密教の曼荼羅に胎蔵界曼荼羅があるが、胎蔵という言葉自体が、ここまで述べてきた地蔵のイメージと極めて近い。事実、胎蔵界曼荼羅の重要な部分に地蔵院がある。

地蔵について、徒然に考えてきたが、ラリタギリ遺跡の散策に戻ろう。先の、地蔵と思われる像が会ったところを過ぎると、その先に僧院跡があった。そこには、持ち主のいない、神聖な牛がひっそりと草を食んでいた。(写真6)この僧院は馬蹄状の形をしていて階段劇場のような形になっている。この僧院の全体的な形自体が、先に取り上げた原初の地蔵像の子宮の形によく似ている。象徴性として、同じ形がつかわれているのかもしれない。後期密教とは、まさに子宮に抱かれた仏教なのかもしれない。

そこからしばらく歩くと、小さな博物館があり、中に弥勒菩薩など、多くの仏像が置かれていた。ここは残念ながら撮影禁止で画像は残っていない。その博物館の脇の坂道を上るとストゥーパがあり、そこからインド平原の雄大な眺望が開けていた。

写真19  ラリタギリの僧院跡:馬蹄形の劇場の様な形をしている

 

写真20   同じくラリタギリの僧院跡

 

 

写真21 ラリタギリのストゥーパ

写真22 ラリタギリのストゥーパからの眺め