うつ病のYさんからの手紙と返事:うつ病の時のこころがけ
Yさんからの手紙(抜粋)
私、うつ病で会社を休んで1ヶ月半になります。半年くらい休むことになるのではと思っています。
高度な仕事と優秀な人たち(帰国子女たち)に囲まれたことと、ちょっとした社内の事件で、完全に自信を喪失してしまい、意欲を失いました。
毎日、家で音楽を聞いて横になって過ごしています。家族(母・妹)には知らせていません。なんとか、食べるようにしています。
治りたいという気持ちと、治ると社会へ出てまた「がんばる」のは嫌という気持ちが、拮抗しています。もう、「戦う」のはいや。生き方を見つめなおすよい機会、治る病気と理性ではわかっていても、大変不安です。自分が患ってみて傷口が外から見えない病のつらさがわかりました。
過去を振り返ると、家庭環境、結婚生活ともに幸せなものではなく、なんとか自活する仕事に精一杯で、趣味をもつ余裕もなく今に至りました。休みべた、遊びべたです。友人はみな遠方です。
治るには、薬半分、本人の気持ち半分といわれています。「うつ病患者心得」があれば、教えてください
Yさんへの返事(抜粋)
お手紙ありがとう。
今は、いろんなものを失って、自分自身がなくなってしまったような感覚があるのだと思います。そんな時は、休んでおくことです。そして、休んでいる自分を、だめだ、と思わずに、それも大事な自分だと、包み返すことが、大切です。
うつ状態にあるとき、人間は今の自分を自分と認められない、という気持ちに陥ります。こんな調子の悪い自分は、自分ではないと。
こんな、不調な自分は本来の自分ではない。それで、その「自分ではない自分」で何かを行えば、その自分を自分と認めることになってしまいます。だから、この自分では何もできない、なぜならば、この自分は自分ではないのだから、という気持ちになります。もちろん、無意識的にですが。
そんなときには、それを逆手にとって、ちょっとでもいいから、必要最低限のことをしておく、ということが、大事なことになります。というのは、それが、不調な自分を大切にすることになるからです。
つまり、必要最低限のことを行うことによって、それを行っている、「今の調子の悪い自分も、自分の半面として認める」という、心理的作業を行っていることになるわけです。つまり、「この調子の悪い自分も、自分の大切な一部分として認める」ということになります。そして、そのことによって、うつという状況は本質的に明けて行くのです。このプロセスが、心理学でいう、mourning work (喪の仕事)ということの本質です。
だから、調子の悪いときにも、日常の必要最低限のことをやっておくということは、心理学的に重要な意味があるわけです。
もちろん、調子の悪いときなので、普段10できていることの2か3かしか、できないかもしれません。それでいいのです。しかし、むしろ白旗を上げてなにもできません、としないことに意味があるのです。
このことを、ちょっと別のエピソードから見て見ましょう。
漫画家、水木しげる氏の自叙伝的作品に、「のんばあちゃん」という自分の祖母を主人公にした作品があるのですが、そのなかで、小学生だった、水木少年のエピソードがでてきます。従兄弟で、少し年上の女性に彼は淡い恋愛感情をもち、いつも一緒に遊んでいた。しかし、彼女は病死するのです。そのとき、彼は全く立ち上がれないくらいの、うつ状態に陥ります。そして、のんばあちゃんに、「俺、もう立ち上がらないくらい、体が重い」と訴えるのです。それに対する、のんばあちゃんの答えは、「そらそうだよ、それは、お前の背中には彼女の魂がおぶさってるからだよ。だから、今は立ち上がれないよ。でもね、お前は彼女の魂を背負ったまま、また、立ち上がれるようになるんだよ。」と、言うのです。ここで重要なことは、のんばあちゃんは、その内に彼女の魂がお前の背中から退いて、お前は立ち上がれるようになると、言っているのではない点です。彼女の魂を背負いながら、立ち上がるということができるようになるよと。それが、mourning work(喪の仕事)なのです。
このエピソードで、大切な人を失って、悲しみ、落ち込んでいる自分は、大切な人を思う自分として、大事な自分の一部分であるはずです。それを、抱えても立ち上がることができるよ、と、のんばあちゃんは教えてくれているのです。
私はクリニックで、このような話をしています。
くれぐれも、焦らないで、ゆっくりでいいから、こころの健康を取り戻されることを、切に祈っています。
小寺クリニック 小寺隆史